「決勝は試合をするものじゃなくて、勝つもの」 ラストマッチでゴールのフットサルのキング、最後のミックスゾーン

 2025−26シーズン、日本のフットサル界を牽引してきた多くの選手たちがユニフォームを脱ぐ決断をした。46歳となったキング・オブ・Fリーグことペスカドーラ町田の森岡薫にとっても、この大会が最後の舞台だった。決勝までたどり着けなかった選手が多かったなかで、フットサルの神様は、森岡に微笑んだ。キャリアの終盤、フィクソでプレーすることの多かった森岡だが、この試合で町田のルーカス・キオロ監督は、森岡をピヴォとして起用する粋な計らいを見せた。

 試合後の記者会見で就任1年目のブラジル人監督に、その理由を問うと「今日は前半の難しい時間帯で薫をピヴォで使いました。もともと薫がキャリアの最初から一番プレーしてきたポジションなので、そこで使いたかったという気持ちがありました」と、説明した。

 2日前、準々決勝が終わった直後のミックスゾーンで、プレースタイルの変化について話した際、「46歳になったら、そりゃ変わるよ!」と笑い飛ばした森岡だったが、キャリアの最後までピッチに立って、自身が日本のフットサル界、Fリーグを牽引してきた“キング”であることを証明した。

 浦安に2点のリードを許していたなかで、迎えた前半19分のことだった。Fリーグ・ディビジョン1で歴代2位となる通算311得点を挙げてきたストライカーは、中村心之佑がゴール前に入れたボールを右足でゴールに叩き込んだ。名手ピレス・イゴールも止められないシュートは町田の反撃の狼煙となり、町田は後半7分の中村のゴールで追い付くと、PK戦を4−3で制して10年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。

 試合直後のフラッシュインタビューでも印象的な言葉を発した森岡は、「お待たせしましたー!」と、最後にミックスゾーンに現れると、「決勝戦はね、試合をするものじゃなくて、勝つものだから」と、キャリア通算5度目となる全日本選手権優勝を喜んだ。

「フットサルの神様が微笑んでくれましたね。だから、やっぱり(ラストゴールが)PKじゃダメっていうことなんですよ。(PK戦で)外したっていうことは。ちゃんと(試合の中で)ゴールを決めて終わってくれと。でも、本当にビゴージに感謝ですよ。やってくれましたね」と、大会MVPに輝いたGKを称賛した。

 最終的にビゴージがMVPを獲得したが、決勝のマン・オブ・ザ・マッチであれば、町田の1点目を決めた森岡が選ばれてもおかしくなかっただろう。「決勝だからね」とニヤリと笑った森岡は「昨日(準決勝)もちょっとだけピヴォの位置に入ったりして、監督とは『調子どうなの?』と聞かれて、『3日間連続だけど、割と動けそう』という話をしました。それで『いざという時は前に言ってもらうよ』と言われて準備はしていました。こうやって(前を向いて)攻めるよりも、こうやって(相手ゴールを背にして)攻める方がオレは落ち着く」と言い、ラストマッチで本職のピヴォ起用されたことを喜んだ。

 第1ピリオドのうちに森岡のゴールで1点を返した町田だったが、ハーフタイムでも森岡は自身の経験をもとにした話をして、チームを鼓舞していた。「ハーフタイムにみんなに言ったんですけど、2−0で勝ちきった決勝って僕の過去の経験でもないんですよ。2−0でリードしていても必ず負けそうな雰囲気になる展開になる。だから『2−0は裏切られる展開だぞ』って。勝っているけど、2点差もあるけど、そこで1点でも失点したら、勢いで同点になっちゃう。だから、自分もとにかく前半は1−2にして終わろうということばかり考えていましたね。一気に同点にする必要はなくて、前半は1−2で終わりたいと。そこで入ってくれたのでね」と言い、最後尾でプレーしながらも、どこかで自分が試合を決めたいという思いを持ってこの2年間プレーしていたことを明かした。

「この2年間ね、若い子達に支えられてきたから。いざという時には、『この人がいて良かったな』と思ってもらえるプレーを、ずっとしたいとは思っていました。でも、同時に受け入れることにもしていたんです。『自分がなんとかしなきゃいけない』とか、『自分がここで決めなきゃいけない』とか。そういう気持ちから『少しでも貢献してあげなきゃ』という気持ちに切り替えていました。それが今シーズンになると、良いところというか、(チームが)欲しい時に点も取れるようになってきていたので。それは多分、自分との葛藤がしっかり整理できたからこそ、プレーを続けられたと思うんです。以前のように『前(ピヴォ)じゃなきゃダメ』『以前のように動けなきゃダメ』『振り向いて点を取らないと納得いかない』と思い続けていたら、もっとうまくいっていなかったと思う。そこを受け入れられたこと、そして良い選手達に囲まれたからこそ、できたんだと思います」

 ゴール前で相手を食い止めて、ピヴォにパスを供給する役割を担って久しい森岡だったが、体はゴールゲッターとしてのプレーも忘れていなかった。「体は覚えていますよね。忘れることは多分ない。ただ、たまに練習でもピヴォに入ると『前だったらオレ、ここで振り向けていたのにな』と感じることはあった。体は覚えているものの筋肉が付いてこなかったり、一瞬忘れてしまうことがある。ただ体の中にはあるものだったから、たまにピヴォで前に張ったりすると徐々に徐々にピヴォの感覚が起き上がり始めるというか。今日も、湘南戦も、ある程度前で収めて時間をつくることもできたので。それもあって、監督も『前で張って』と言ったと思うんですよね」と、準決勝での試運転が監督へのアピールという点でも、彼自身のピヴォとしての感覚を呼び起こす上でも、大きな意味を持っていたと強調した。

 体が覚えていた形でシュートを放った森岡だが、そのパスを受けるまでの過程は、豊富な経験が可能にしたものだと言う。「あの時のセットの時は、僕の本来のセットじゃなかったんです。中村と(毛利)元亮と、本来はそこに(僕じゃなくて)雲切なんです。ほぼあのセットでは出ていなくて、何かアクシデントが起きない限り、そこでは出なかった。僕はどちらかというと(山中)翔斗とバナナ(ヴィニシウス)と、2セット目だった。ただ最近はケガもそうだし、累積警告もあって、セットが崩れて練習でやった思い通り練習通りのセットは組めなかったんです。でも、後ろに(甲斐)稜人がいて、浦安の選手がそれを警戒したのがわかったので。そこはやっぱりベテランならではというか、長くやってきたから判断できたのかもしれないですね」と言い、瞬時に甲斐ではなく、森岡にパスを出した中村心之佑の機転も絶賛した。

「ボールもめちゃくちゃ良かったですよ。もう当てるだけで、あそこは振ってしまっていたら、上にいっていたので。良いボールが来たら、抑えるだけと思っていたので、そのとおりにできました。多分、タケ(本石猛裕)がいたけど、タケをブロックしていたら、ほかの人が(甲斐のシュートを)ブロックに出られていたと思う。だから、タケをブロックするフリをして、ちょっとよけた。そこをシン(中村)が見てくれたので。そこが良かったですね。シンの判断、そしてボールが良かった。僕は当てるだけだったので」

 ラストゴールを決めた時、浦安のゴールを守っていたのは、ピレス・イゴールだった。試合後、イゴールは森岡について、「さすが薫さん。特別な選手です。試合には負けたくなかったけれど、薫さんが勝てたことはすごく嬉しい。試合が終わってからハグして言葉をかわしたけど、何年も彼と一緒にやって感じたのは、本当に良いプレーヤーだということだし、すごく誇らしく思います。選手として引退するのは仕方がないけれど、残念。でもゴールを決めて優勝するという最後は、素晴らしいものだったと思います」と、目を潤ませて語っていたが、森岡もまたかつてのチームメイトをリスペクトして止まない。

「あのオッサンも、頑張るよね」と親しみを込めて笑いながら、「まだまだやれるよね。表彰式の前、2人で泣きながらしゃべって、『同じチームで引退したかったな』と話しました。彼も『今までやったピヴォの選手の中では、おまえが一番良かったよ』と言ってくれたので、それは本当に嬉しかったですね。でも、彼は本当にスーパーマンですよ。病気(ギランヴァレー病)を乗り越えて、日本代表にも復帰して、さらにFリーグでも優勝を成し遂げて。偉大な選手だと思いますよ。本当に。まだまだやれると思うのでイゴールは。『勝ってほしい』とは言いませんが(笑)、個人としては応援したいと思います」と、来季から町田のGMを務める森岡は、一つ年下のイゴールのキャリア最終盤が良いものとなることを願った。

 プロのフットサル選手として20年にわたって活動してきた森岡は、「悔いのないフットサル人生でしたね。20年なんですけど、勝つことしか味わわなかった10年間とタイトルと無縁の10年でした。不思議とそうなっちゃうんだなって。どうしても優勝、最後の優勝は欲しかった。チームメイトもそうだったと思いますけど、個人的にもプロ初年度で日本一になったのが、ここだったんです。相手は府中アスレティックで、(名古屋の前身である大洋薬品/BANFF所属の)僕も点を決めて。あの時はPKまで行かなかったですけど、優勝して。それがちょうど20年前。そこで初めて日本一のタイトルを獲ったのですが、まさか最後に再びここでプレーできると思いませんでした。屋内球技場でやると思っていたので。それが、こっち(駒澤体育館)でできたし、めっちゃ良い雰囲気でしたよね」と言い、大きなアリーナで試合をすることよりも、小さくても盛り上がりを感じられるアリーナで試合を開催する重要性を訴えた。

「この雰囲気はかけがえがないもの。僕もインタビューで『Fリーグはここでセントラル開催をしてください』って言っているんです。でっかいところ、5000人規模のところを借りて1000人ちょっとしか入らないで(空席が目立つなら)、ここを満員にしちゃえばいいじゃんって。入る人もやみつきになりますよ、こういう雰囲気を味わえば。僕もこの雰囲気のなかにいて、すごかったですもん。準決勝は900人でしたっけ? それでも、自分のなかでは『1,500人、入っているんじゃないか?』って感じていました。それくらい雰囲気、一体感があった。いろいろ難しい部分はあるかもしれないが、たまにはノルマを取っ払ってやるべきかなと思ったりもしますね。今日みたいな試合をFリーグでもできるはずじゃないですか。これを見た人は『また見たい』となるはずだから。本当にFリーグには、これが良い見本になったと思う」

「僕も今後は、裏方の仕事をしながら、やっぱり見に来てくれる人が『また見たい』と、試合内容だけではなくてね。会場に来たら、こんな楽しみもあった。こういう歓迎のされ方があったとか。そこもあると思うから、僕ももっともっと勉強をしながらやっていきたいと思います。これから、いろんな人に煙たがられるかもしれませんけど、正しいものとそうじゃないものをしっかり把握して動きたい。いろんな状況があるでしょうが、フットサルのためになるならやるべきだし、そうじゃないならやめるべき。選手はみんな口をそろえて同じことを言うと思います。『環境を良くしたい』って」

 これからは、ピッチ外からフットサルに携わることになるFリーグのキングは、「Fリーグは2007年からで、来シーズンで20年目ですよね。苦しい時もあっただろうし、良いときもあったと思う。どのリーグも良い時だけじゃないと思うから。苦しい時もあって、それを乗り越えて、さらに景色が良いところに行けると思うので。これもまたそういう時期になって、僕が引退になったのかなという部分もあるので。できるだけ早く、そういう環境を変えたい。でも、僕一人でできるわけじゃない。ここにいるメディアの皆さん、選手の皆さん、チームやリーグの運営のみなさん。みんなで変えていかないといけない。でも、絶対に変えられる。僕もスペインでやらせてもらったり、いろいろな外国人選手と話しますが、『日本のリーグが一番だ』と言ってくれる。運営も、レベルも。世界から注目されてるリーグだと誇りに思っていいと思うし、でも、もっともっと良くしていかないといけない。いろいろ思うことはたくさんあるので、またインタビューして下さい。GMになったら、そういう(インタビューの機会)も少なくなるので、(発信する機会が)また欲しくなると思うのでお願いします」と、茶目っ気たっぷりに話した。

 このミックスゾーンでの取材が始まる前には、同じく引退する原辰介が取材を受けていた。味の素株式会社の社業に専念する原に「この先、僕も(営業に)行くんで。ちょうど(PK戦でPKを)外した2人だし(笑)。今後ともよろしくお願いします!」と、おどけながら未来のスポンサー候補に頭を下げていた。  ふんぞり返って偉ぶるという意味のキングではなく、最後まで人々を笑顔にし、感動や興奮を届けられるキングとして、森岡薫はユニフォームを脱いだ。

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP